みのむしXのブログ

過去のあれこれと。日々思ったことをとりあえずは書いていく。

備品と化した店主がいる店

備品と化した店主がいる店

 

私は東京に住んでかれこれ6年。

打ち合わせなどでいろいろな所に行くこともあり、

都内の店にはそこそこ詳しくなった。※高い店にはあまり詳しくなっていない。

「美味い店」とは違う価値観を今回は提示していく。

 

美味い店は調べればわかる

グルメ本でも食べログでも、なんでも調べれば美味い店はわかる。

それよりさらに、信頼できる人や詳しい人に聞くのが一番間違いがないとも思う。

しかし、そこでわかるのは「美味い店」である。

「美味い店」は素晴らしいけれど、それはもうみんなが知っていることなのだ。

 さらに都内には美味い店はたくさんある。良いことなのだがありふれている。

この時代において真に面白いこととは自分で良さを発見することにこそある。

与えられる価値をそのまま楽しむことは正しくは消費なのです。

 

備品と化した店主がいる店

私が今回提示するのは「備品と化した店主がいる店」である。

すなわち、年月の経過とともに店主が店と一体化して備品のように見える店である。

店主の備品度が高ければ高いほど良い。料理の味は普通でいい。

それぞれの生活圏の中でそういう店を自分で見つけることが大切。

 

希少価値が凄い

この手の店はとにかく希少価値が高い。

跡継ぎはいないことが多く、ほぼ数年のうちには食べられなくなるのだ。

それを食べられるプレミア感をぜひ感じて欲しい。

 

歴史を想像しよう

店と店主が歩んできた歴史を勝手に想像しよう。

店を始めたばかりの頃、一番繁盛していた時、寂れていく様子等。

店主に聞いてみても良いのだが、勝手にあれこれ想像するのがオススメ。

 

飲食店だけじゃない

飲食店以外にも備品と化した店主がいる店」はある。

私が気に入っているのは近所の洋服の修理店だ。

ここの店主はかなり背が低い。おそらく145cm〜150cm程度である。

そしてこの店主は、ほぼミシンと一体化している。

ミシンの高さに合わせて腰もまがり、

眼鏡の位置も作業に最適化された鼻眼鏡になっている。

遠目にはどこまでがミシンで、どこからが店主なのかわからないレベルなのだ。

 私はこの姿に感動を覚える。

この「感動」の「発見」をすることが凄く大切なのだと思う。

 

SNSでシェアしないで噛み締めろ

備品と化した店主がいる店」を見つけても私はSNSでシェアしない。

説明するのが難しいのだが、シェアされると感動が陳腐なものになる。

備品と化した店主がいる店」という価値を理解しうる人にだけ、

こっそり店を教えるようにして欲しい。

私は人に紹介する場合は、一緒に直接店に行くようにしている。

一緒に行った友人が備品と化した店主がいる店」の良さを理解してくれると

凄く嬉しいものがある。

 

自分のモノサシあるいは侘び寂び

茶道の世界では形が歪んだ茶器に、いつのころからか価値を見出すようになった。

いわゆる侘び寂びとか言われるものだ。

そういう「感動」や「価値」を「発見」すること、これを楽しんで欲しい。