みのむしXのブログ

過去のあれこれと。日々思ったことをとりあえずは書いていく。

SNSが可視化したのは結局のところ社会の分断だと思う

SNSが可視化したのは結局のところ社会の分断だと思う。

2019年の参議院選で注目を集めた政党は、令和新撰組NHKから国民を守る党だった。

この2つの政党は性質や主張には大きな差があるが、支持者には根本の部分で共通する社会に対する認識があると感じる。

それは、既得権者に対する敵意と既存の権力からの疎外感だ。

どちらの政党もネットでの盛り上がりが大きかったことも似ている。

 

選挙以外にも、昨今のネットでは定着した感のある言葉に「上級国民」というものもある。

 

2000年代中盤まではネットやSNSは人と人を繋げて、他者との繋がりや理解を促進するような言説もあったが、結果としては似た者同士の村社会や、教祖と信者の関係性をネット上に再構成した。

 

そして、SNSは持つものと持たざる者を強烈に可視化した。フォロワー数やいいねの数という、戦闘力にも似た価値基準。

本来なら目にしなくて済んだような、良い暮らしや幸せな様子。

「上級国民」という言葉の発端にもなった、不平等に見える法の運用。

 

もちろん、不正が可視化されるなど良い面もあるが、多くの人は自分には手の届かない特権により、利益を得ていることの方に強く怒りや不平を感じる。

 

上級と思われる人がスキャンダルを起こすと、ここぞとばかり石を投げる。

そうして、とりあえずの溜飲を下げている。

結局はフランス革命で特権を持つ者をギロチン送りにしていった時代から、やってることの本質はそれほど変わっていない。

 

SNSがなければ知り得なかった情報はたくさんある。でも、知らなかった方が幸せだった事もたくさんある。可能性は時に人に不自由さと絶望感を与える。

 

この社会の分断は簡単に修復できるものではない。一度生まれた亀裂は大抵深まっていく。

選挙を通じてネットから現実を侵食し始めた亀裂はどこまで広がるかわからない。

どこかで妥協点を見出すか、折り合いをつけなければ、近い将来に本物のギロチンを見ることになるかもしれない。

令和新撰組にしても、N国党にしても、まだ動き始めたばかりで今後どうなるかはわからない。

これらが派手に失敗した時こそが、決定的なターニグポイントになりかねないと感じる。

支持者や不平を感じていた人たちがより、急進的な思想や行動に流れていく事にもなりかねない。

 

僕自身は特権の側に回れる可能性はあまりなさそうだ。かといって積極的に既得権者を叩きたいとも思わない。ある程度の距離感で適度に利益や旨みを得たいというのがクソみたいな正直な気持ちだ。

しかし、この分断はもはや避けられない段階に来ていると確信している。

おそらく、目を背けるためにいろいろな事が行われると思うが、それらは一時しのぎにしかならない。

遅かれ早かれフランスの黄色いベスト運動くらいの事は世界中でおこるし、それはもう止められない。

そうなった時僕はどちらの側にもつきたくないが、踏み絵を踏まされるような事が起こるかもしれない。そうなったらいよいよ世の中に嫌気がさしそうだ。