ニートは楽ではない。実体験を元に振り返る。
ニートは楽ではない。
私は大学を卒業してハードブラックな映像制作会社に3ヶ月だけ勤めた。
運がよい(悪かったのかも)ことに会社を辞めてすぐに仕事がもらえた。
これによって私は大いに調子にのってフリーランスで生きていこうと決めてしまった。
しかし、それ以降はあまり仕事が続かず稀に来る仕事と、貯金、危機的状況では親の脛までかじって食いつないだ。
フリーランスとは名ばかりのほぼニート状態。しかも東京での一人暮らし。
プライドがあってバイトはしないというクズっぷり。
それでも、今ではどうにか生活には困らず暮らせている。
今に至るにはかなりの苦労や惨めな思いもしていたが、それは別のお話。
今回はそのほぼニート状態の頃の実体験を書いていきます。
一人暮らしニートその孤独。
ニートと一口にっても実家暮らしか、一人暮らしかで状況は大きく違う。
幸いにも実家でニートをした経験はないので、一人暮らしに関して話していく。
孤独と貧乏は確実に人を蝕む。
孤独で金がないと人はいよいよ何もしなくなる。
遊びにしても、出かけるにしても金がかかるからだ。
腐るほど寝る。
出かけないで家にいても金が減る。そうした場合には寝るしか無い。
寝ていれば、同時に厳しい現実から目をそらすこともできる。
正に仮死状態。一種の冬眠。この時期は人生で間違いなく一番寝ていた。
自分自身ではこれはサナギであっていつか成虫になると言い聞かせていた。
損なわれる健康。
睡眠時間が増えれば、当然のように体内時計が狂う。食も細り体重が落ちる。
私の場合は元々痩せていたのでそれに拍車がかかった。
体重が一番落ちた時は47kgだった。
損なわれるのは体の健康だけではない。精神的にもおかしくなっていく。
人と上手く話せなくなり、性格もより卑屈になっていた。これは今でも治らない。
年金が払えない。
この期間は国民年金を払えなかった。所得が少なすぎるからだ。
督促状が届き、免除申請をしてどうにかやり過ごした。
年金すらも払えないということは、かなり惨めな気持ちになった。
社会に参加できていない感じ。社会人として半人前。
そう強く自覚させられ、これも孤独感を強める要因になった。
ニートとインターネット。
精神状態の悪化に拍車をかけるのがインターネットだ。
fecebookには大学の同期たちの活躍ぶりが輝き。
twitterでは様々な交流が行われる。
そのどこにも自分は属せていないことを強く感じる。これが現代の孤独。
そして己のプライドと現実のギャップに気持ちが引き裂かれる。
そもそも孤独は一人でいるときよりも、集団から弾かれた時に感じるものでもある。
しかし、同時にニートの精神を安定させるのもインターネットなのである。
家にいながら他の何よりも安上がりで楽しめるからだ。
2011年〜2012年くらいのその時期はニコニコ動画が勢いがあり、
特にゲーム実況動画の人気がピークに達していた。
自分の好みに合う実況動画を延々と見た。それも布団に入りながら。
今になって振り返ればそういった動画には多少なりとも救われたように思える。
脱ニートもインターネット。
そんな生活の中でも作品の自主制作などは続けていた。
インターネット上でも発表した。そういうことをしていると仕事に繋がることもある。
もちろん、ほとんどは仕事に繋がらない。
その無駄骨っぷりと惨めさは言葉にはし難い。己の無能がどうやっても否定できない。
その頃身につけた技術や経験が、今でも仕事に活かせていることだけがせめてもの救い。
インターネットは正にライフライン。水道や電気と同じくらい無くてはならない。
ただそのライフラインは時として、首をくくる縄にもなるので注意が必要。
その頃考えていたこと。
人間追い詰められると良からぬことばかり考えるようになる。
私はその頃こんなことを考えたり感じていた。
3ヶ月だけ勤めたブラック企業への復讐。
具体的に行動にはしなかったが、頭のなかで何度か人を殺めた。
今でもあの会社を許してはいなが、自分が成功して見返すことが目標。
この暮らしがいつまで続くのかわからない恐怖。
これが一番精神的にくる。出口のないトンネルにいるような心細さ。
この不安が酷いときには寝ることすらできなくなる。
加藤智大の気持ちがわかり始める。
秋葉原連続通り魔事件の犯人、加藤智大のやけっぱちの気持ちがわかるような気になる。犯行前に書かれた加藤によるネットの書き込みに一部に共感を覚えるようになる。
加藤の場合は派遣で働いていたが、孤独な一人暮らしという点では共通する精神状態にあったのだと分析できる。
ただ、失うものが何もないと思えてしまう人間の精神状態というのは決して、特殊なものではないと今でも思う。
自殺しようかと思う。
これはもうあるある。
ただ、私の場合は大学の同期が友人が先に自殺してしまった。
そのこともあって、その時の葬式の辛い感じ。自分や他の友人への影響。
そういったことから、一度も実行にはうつさなかった。
相談を聞いてくれるの「いのちの電話」には3度電話した。
「いのちの電話」があることによって救われている命はかなり多いと思う。
今でもニートになる恐怖はある。
今ではフリーランスとして、生活には困らないで暮らしている。
凄く金があるわけでもないし、現状に満足はしていない。
仕事が来なくなったらほぼニートなのだから。
今までの仕事の実績や、人のつながりがあるので就職することはできると思えるし、
その自信は少なからずある。
それでも、そういったニートになる恐怖は今でもなくならない。
だからこそ頑張れるということでもある。
ニートの人へ。
ニートといってもかなり、私の場合はかなり特殊な事例だという自覚はある。
だから、広く的確なアドバイスとかはできない。
人によって状況も様々だと思う。それでも共通して言えることは、
「死なないために生きろ」ということだ。
うまく孤独や惨めさと付き合っていくことでしか状況は好転しない。
余裕ができた時に、新しい行動を起こせばいい。
そのためにはとりあえず死なないことだ。